MyForrest 2004/12
それはきずある石ときずある花の恋の物語 <霊玉伝>
『そして花は石に恋をした。花は、もし地上に生まれ変わることがあれば、悲しみや憂いのない天に戻ろうなどと思わず、悲しみのもとをたどると誓い、心から涙を流すと誓った。』

霊玉伝(ハヤカワ文庫 FT 330)
バリー・ヒューガート著・和爾桃子訳

出版社 早川書房
発売日 2003.01
価格  ¥ 777(¥ 740)
ISBN  415020330X

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鳥姫伝に続く2作目

李高の弟子となった十牛、彼らが新に挑むのは哀谷の寺で起こった事件だった。
恐怖の表情のまま死んだ僧、彼が持っていたという司馬遷の手記の贋作、かつての暴君「笑君」とその一党がよみがえったのか?
手がかりは笑君が求めていたという石。
その過程で彼らは暁愁と月童という、ふたりで一人、一対となる男女と出会う。
物語は例によって右往左往。
中国全土を股にかけ果ては地獄まで(李高曰く、それは自分の内奥への旅)
地獄の番人たちさえも舌先三寸であしらい、辺境に君臨する王とその近衛の美女軍団とわたりあう。
前作よりもさらにむちゃくちゃに、さらにお下品に。
一見迷走しているような個々の事柄が最後の一点に向かって収束していくとき。
再び奇跡はおこり。
きずのある石と花は再びめぐりあい、花の涙は石を洗う。

月童がすごい。
この世のものとは思えぬ美男子で、音楽の天才。
しかし彼は男色に目がないのであった。
通りがかった村の道士が叫ぶ。
『男の子を隠せ!男どもを隠せ!山羊とろばを隠せ!』
地獄で身の丈十尺はある鬼に見つかりもはやこれまでとなったとき、彼はすすみ出て鬼のあごの下をくすぐりこう言う
『おいでよ、かわいい人』
そして草むらの影にふたりで消えていくのであった。
その後の月童の言葉とそれを聞いた僕=十牛の反応。
『「地獄ってのは」と言う。「まったく体に悪い。たびたび来なくちゃ」僕は美青年に向かって三拝九叩頭した』
まったく。

悪にして無垢な月童の手綱を取れるのは、暁愁だけ。
彼女も純粋だが月童と違い辛苦のあとが見られ、強く優しい。
彼女には昔の記憶がなく、わかっているのは月童と暁愁の魂は強く結びついていると言うことだけ。
ふたりは魂の双子なのだ。

暁愁に惚れている十牛は初めそんな月童に嫉妬するが、やがてふたりの関係を理解する。
李高と十牛、暁愁、月童。
彼らが夢見るのは北京の李高の家で家族として暮らす幸せな日々・・・

一見無関係な様々な出来事が一点に集約していくプロットは相変わらず見事。
ただスケールの壮大さ、物語の造形の華麗さという点では前作に一歩譲るでしょう。
やや地味に感じるかもしれません。
クライマックスは前作ほどの壮大さがありません。
しかし、物語を通じて背景に流れる美しくも哀しい、素朴で力強い月童と暁愁の奏でる歌。
クライマックスの厳かで、静かに胸をうつ感動。
鳥姫伝、霊玉伝、八妖伝と続く3部作のなかでもっとも切ない愛の話。
いちばん好きな話です。

李老師曰く
『若いもんはみなそうじゃ。この世のすばらしいものをわが手につかんだと思うと、あとから見れば手の中で粉々に砕けとる。耳で聞こうと思うな、心で聞け。心の穴に気を集中して、いちばん痛む方向をたどるがいい」
若者よ、心のいちばん痛むところを目指せ
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What next? <ライトノベル完全読本Vol.2>
ライトノベル完全読本 Vol.2を読みました。
どうしようもないちぐはぐさが目立った前刊と比べると、非常によくまとまっていたと思います。
前刊では文壇どうのこうのということで物議を醸していましたが、今回は新城カズマさんの序文にある『反・ライトノベル書評宣言 もしくは現在進行小説の現在進行形動態」という言葉通り、特定のベクトルに持っていこうとするのでなく現在のライトノベル界を見通す形になっていると思います。
進行がきつかったとかであからさまなページ埋めっぽいのもちょっとあったのですが、それ以外は各個の記事もなかなか読ませるものが多かったと感じました。
特に新城カズマX賀東招二対談もつっこみ足りないような気もするものの面白かったし、コバルト編集部のインタビューで『「作家は表現者ですよね」』と言っていたのも頼もしいこと言うなあと思いました。
それ以外では五代ゆうさんのコラム「私と本格ファンタジー」も五代さんのファンタジーへの愛があふれていてよかった。
『単にあこがれと呼ぶには危うい、魂が肉体を離れて漂うような心もとなさ、現実にはあり得ないほどの、完全な調和と驚異の感覚』
まさにファンタジー!
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All You Need IS LOVE
各所で貴子潤一郎が絶賛されているよう。
こちらとかこちらとか

たしかに私も「眠り姫」は時間を忘れて読んだし、その勢いで「12月のベロニカ」も一気に読んだ。

確かに面白いし、うまい。
だけど。

私の感想はこちらのサイトの評価に近い。
何か物足りないのだ。
技術的な高さはあるのだが、なんというのだろう、ハートが絶対的に足りない。
なにか他人に評価してもらうために書いた(もちろん小説が表現である以上それはどんな作品にも必要なことだとは思うが)、いい点数をもらうために書いたような感じがしてしまう。
技巧のための技巧というか。
この人が今本当に書きたいことを書いているのだろうかという疑問が、読んでいる間中ずっとつきまとっていた。
それがとてももどかしい。

冒頭に挙げた二つのサイトではちょうどその中で乙一について触れていた。
奇しくも私が思い浮かんだのも乙一だった。
ただしそれはお二方とは違う文脈で。

一時期の乙一(もしかしたら今もなのかもしれないが)の状態に似ていると思うのだ。
表面的な技術は高いし、読ませる。
だけど物足りない。

その叙述トリックはその作品に必要なのか?
そこで奇をてらう必要があるのか?
周囲の期待に応えるためだけにかいていないか?
あなたの本当に書きたい事はあるのですか?

ふたりともうまいし、好きな作風だけにもったいない、と思ってしまうのはもちろん私の一方的な言いがかりなのですけど。
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ライトノベル☆めった斬り
ライトノベル☆めった斬り!を読みました。
ライトノベル☆めった斬り!
大森 望 三村 美衣
太田出版 (2004/12/07)
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文学賞メッタ斬りの方を読んだことがないので何ともいえませんが、そんなめった斬りと言う感じでもなかったような。
大森望と三村美衣両氏の対談でライトノベルの歴史の流れを語り、それに併せて年代別のブックレビュー部分がくるという形になっています。

特にブックレビューはここのところ立て続けに出ているライトノベル本の中でも、もっともよい購入ガイドとなっているのではないでしょうか。
「このライトノベルがすごい」も「ライトノベル完全読本」もブックレビューとしては無難にすぎて。どうにも本の魅力というものが伝わってこないところがあると思います。
今回の「ライトノベル☆めった斬り」では著者のお二方の書評という形をとっていますので、紹介された本の魅力、特色というものを各々の観点から語っているのがよい感じです。
むかし宝島社から「このマンガがすごい」という「このライトノベルがすごい」のもとのような本が出ていまして、これのブックレビューはどれも各紹介者の熱意が伝わってくるようなもので「これ読んでみたい!」と思わせるようなものでした。
こういったブックレビューは主観的な視点がないと意味がないと思います。
しょせん本なんて読む人によって、まったく違うものになるもの。主となる視点がないと表面的なストーリーをなぞって終わりになってしまうでしょう。
しかもWeb上の書評と違って出版物と言うことで、あまり個人的なものにもなりすぎず主観と客観のバランスがとれていると思いました。
関連したジャンル(ライトノベル)外の作品を紹介したりもしているのもポイント高いです。

対談部分も多少偏りはあるのかもしれませんが、対談という形をとることによりライトノベルの流れが自然に表現されていたと思います。
これはいいアイデアだったんじゃないかな。
ただ大森望さんはなんというか自分で完結してしまうというか「こうだったら、こうなの!」となってしまうことがあるような印象を受けました。
たとえば大森さんはライトノベルの起源は平井和正の「超革命的中学生集団」だと言っているのですが、そのこと自体は私は超革中とやらを読んだこともないしどうでもいいのですが、その根拠としてライトノベルの条件を満たした最初の本だからと言うことを言っています。
しかしいくら現在で言うライトノベルの条件を満たしていても、それが当時の状況の中での単なる突然変異なら意味がありません。
その後のライトノベル形成への流れにどう関与しているか、続く作品や市場にどういう影響を与えたのかと言うことが何よりも重要なのだと思います。
逆に大森さんの提示するライトノベルの要件をあまり満たしていなくても、そこにそれにつながる萌芽があり、そのことが流れの始まりとなっていればそれが起源だといえるのだと思うのですが。
そういったことに言及せずに、(現在主流のライトノベルをもとに作った)これこれの条件を満たしている最初の作品だからと主張するだけでした。
お相手の三村さんも苦笑するしかないと言うか。

でも全体的に見ると多少の偏りはあるものの、買ってそんはないと思います。
立て続けに出た3つのライトノベル本に対する私の印象は
このライトノベルがすごい!2005」は内容も薄く、あまり価値を感じない。
ライトノベル完全読本 Vol.2」は業界向けのガイドと言われたVol.1と違い、対談やコラムなどファン向けの読み物中心。
ライトノベル☆めった斬り!」は読みたい本を探すガイドとして。
と言った感じ。
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気高きもの <王国神話>とかロードオブザリングとか
王国神話(富士見ファンタジア文庫)
明日香々一著

出版社 富士見書房
発売日 2004.01
価格  ¥ 609(¥ 580)
ISBN  4829115815

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ここのところ小林めぐみの「ねこたま」「まさかな」「天秤の錯覚」三部作や五代ゆうの「はじまりの骨の物語」「機械じかけの神々〈上〉」貴子潤一郎「12月のベロニカ」なんかを読んだので、その流れの最近の作品と言うことで割と評判の良さそうだった「王国神話」を読んでみました。

結論としては「うーん」かな。
先に読んだ3人とは実力の差があきらかだと思う。
初めの展開はわりとよかったんだけどなあ。
神の世界と人の世界というのはこの作品でも触れているように質的にかなり異なるものなはずなんだけど、そのあたりの表現を全然していない。
人であることと神であることのあいだにはまさに異次元の違いがあるだろうし、それは意識にも影響しないはずはないと思うんだけど、オフィリアが自分の事を思い出してもまったく動揺したり変わったりしないというのはどうなのかなあ。

クロノスが語る別世界の出来事はディオンの世界においてはようするに「神話」と言っていい類のものだと思うんだけど、その語り口はあまりに物足りない。

オフィリアの元居た世界が再生していくラストの描写にしても、鳥姫伝のクライマックスの美しさを知ってしまっているからあまりにもお粗末に感じる。
本当は美しく壮大なシーンなんだと思うんだけど。

なんというか異世界の香りも神秘さも微塵もないんだよなあ。
神話と言うからには格調高さが必要だと思うんだけど、そういうのは読みにくいとか言って嫌われてしまうのだろうか。
でもこういう正統派異世界ファンタジーはいかにも富士見らしい路線でいい感じだなあ。

異世界ものといえば今日はテレビでロードオブザリング二つの塔をやってました。
指輪物語はハイ・ファンタジーの紛れもない最高傑作なんですが、映画の方はなあ・・・
第一部のできがよかっただけに、二作目三作目とどんどんスケールダウンしていくのはがっかり。
いや一作目からスケールアップしていないだけか。
原作は「二つの塔」「王の帰還」とどんどん物語も壮大に、戦いは格調高くなっていくのに、映画の方はどんどん俗っぽくなるのはなぜ?
別に原作に手を入れるのはかまわないと思う。エピソードを抜くのも当然。
でも何でそう変えたのかさっぱりわからないところが、気持ち悪い。

例えば今回の「二つの塔」。
ローハン王の居城、光り輝く黄金の館エドラスがいくら何でもあんなに小さくてみすぼらしいわけないとか、ローハン軍があんなに数少ないわけないだろとかいうのは、撮影の都合とか予算の問題とかあるだろうからまあこだわらないとして。(いや、こだわりたいけど)
それよりも。
映画ではローハンのセオデン王が籠城を主張してガンダルフが攻めるべきという意見なのだけど、原作ではまったく逆。
そもそもローハンの人たちというのはいわばサムライで、屈辱より死をという誇り高い戦闘民族です。
あきらめたりしない。
その中でもセオデンは誇り高く、たとえローハンの騎士が一人残らず討ち死にしようとも誇り高く戦って後世に名を残したいと、戦力で劣るにもかかわらずサルマン軍を攻めようとした。
それをガンダルフが王には民を生き延びさせる義務があると説得して、角笛城にこもるよう進言したと言うようになっていた。
あとゴンドールの援軍が来ないことに泣き言を言うとか。
ありえないよー。

角笛城で絶望的な戦力差にもかかわらず誇り高く戦うローハンの騎士たち、響き渡る角笛、そこに現れる援軍というあたりが「二つの塔」でのいちばんの見所のはずなんだけどなあ。
ローハンが情けなさすぎるせいでこの辺の高揚感が台無し。

ファラミアの性格を変えたのもわかんないところ。
原作のファラミアは兄ボロミアと違って指輪の誘惑にも自力で耐え、父の意に背いてフロドを送り出す。
もちろん映画でも結果的にはそうなるんだけど、その過程がだいぶ違っている。
一本気で軍人気質の兄ボロミアに対して優しすぎるファラミアという対比が崩れて、ファラミアの存在感や父であるゴンドール執政デネソールとの確執なんかがわかりにくくなってしまったと思う。

DVD第一部のメイキングの中では、原作を解釈したり変えたりしないと言ってたのに何で・・・

第三部でのゴンドールのだめっぷりと併せてどうも映画では旅の仲間のみが悪と戦う勇気の持ち主で、それ以外は腰抜けって感じの描き方をしている。
アメリカが微妙な時期だけに恣意的なものを感じてしまうのだけど・・・

現代向きなアレンジと言うことでアラゴルンとアルウェンのロマンスに焦点を当てたりするのはいいと思う。
叙事詩的な部分が薄くなってしまうのもある程度しょうがないとは思うのだけど・・・

ピーター・ジャクソンを信じたい。
「旅の仲間」のあの素晴らしいできを信じたい。
「王の帰還」スペシャルエクステンデッドエディションに期待していよう。
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